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「つくる会」教科書の内容について(子どもと教科書全国ネット21)
1.「つくる会」歴史教科書の問題点
@ 天皇と神話
 国家中心の歴史のなかでもっとも重視されるのが天皇の存在です。天皇に関する記述は、実在しないことがはっきりしている「神武天皇の東征伝承」というコラムからはじまります。神武天皇の存在と矛盾する卑弥呼については、新版でも相変わらずそのもとの史料である「魏志倭人伝」に不正確な内容が多いと主張しています。これまでの古代史研究を無視する特異な主張です。
 また、実際は天皇の力が弱まった中世・近世を通して、いままでの教科書とは違って、天皇が幕府の上にあるかのような記述を新旧版とも通しています。鎌倉時代の守護・地頭の設置については、他の教科書が「頼朝は朝廷にせまって認めさせ」と書いているのに、「つくる会」教科書は「頼朝は朝廷の承認を受けて」おいたと書いています。承久の乱後の後鳥羽上皇の島流しについても、「つくる会」教科書は「移された」と書いて、上皇への処罰のイメージを薄めています。
 そのため、他社教科書とくらべ、天皇の活躍した時代のページ数が多く、そうでない時代のページ数が少ないという結果になっています。原始古代は他社のほぼ17%台に対して23%台、中世は約13%に対し11%、近世は21%台に対し19%台、近代はほぼ変わりませんが、戦後は9%台に対し7%台となっています。また、天皇の登場回数は、他社とくらべ古代でほぼ2倍、中世でほぼ3倍となっています。

A 民衆を軽視した国家中心の歴史
 民衆のうごきを軽視する歴史という点は、古代から一貫しています。いままでほとんどの教科書でとりあげられていた万葉集の「貧窮問答歌」や、尾張国郡司百姓等の訴え、阿?河荘の農民の訴え、若狭国太良荘の農民の訴え、江戸時代の一揆・打ちこわし件数のグラフ、自由民権の秩父事件などは登場しません。支配者と民衆のうごきとの間でバランスを欠いた歴史像がつくられてしまいます。

B 明治維新
 いままでの歴史研究が積み重ねてきた常識と、それにもとづく多くの教科書の記述では、明治維新がおこった原因をこのようにとらえていました。江戸時代の生産力の発達とそれによって活発になった商業の発達にもとづく経済変動により、幕府と藩の権力が衰退したこと、そこへさらに欧米資本主義国家による開国要求の圧力が強まり、支配権力の改革によってそれに対応しようとする倒幕派下級武士勢力が、民衆の闘争をも利用しつつ幕府権力を打倒した、と。
 ところが「つくる会」教科書は、江戸時代の民衆の暮らしも生産と流通の発達の記述もきわめて簡単になり、それと社会の変動を結びつける記述はありません。明治維新の改革をもたらした底流として、経済の発展と資本主義への芽、そのなかの民衆運動に目を向けることもしません。ではなぜ明治維新がおこったのか。それは「公共の利益のために働く」武士道のおかげだったと説くのです。「武士たちが藩のわくをこえて日本の存続のために立ち上がったのは、武士道の中に公共の利益のために働くことに価値をおく忠義の観念があったことと深い関係がある。」「全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場だった。(中略)皇室を日本の統合の中心とすることで、政権の移動が比較的スムーズに行われた。」などと書きますが、藩のわくの中にいた江戸時代の武士の立場と「忠義の観念」について、なんの証明もなく勝手に断定をくだし、明治維新を民衆とは無関係に、武士道と武士の自己犠牲の精神によって武士がみずからなしとげた改革だとするのです。
 ここにはいくつかのメッセージがこめられています。社会の変革は民衆の力によっておこるのではなく、支配者自身の努力によっておこるのだ、だから民衆はそれにしたがっていればよい。日本では、天皇の存在があったために、それがいっそううまくできた。中国・朝鮮にはそれらの条件がなかったから、欧米の植民地になったのはしかたなかった、というものです。このような考え方では主権者を育てることはできません。

C アジアに対する軽蔑
 日本がアジアを支配するのは当然だったという考え方は、アジアを日本よりも一段低いものとみて軽蔑する思想が伏線になっています。それは戦前の国定歴史教科書にありましたが、それとそっくりのことを書いているのが「つくる会」教科書です。戦前最後の国定教科書『初等科国史 下』にはこう書いてありました。「わが国は、東亜をむしばむ欧米の列強に対し、あくまで東亜をまもろうとしました。ところが、朝鮮も清も、こうした形勢に目ざめず、ことに清は、自分を世界でいちばんえらい国と考え、そのうぬぼれがぬけません。」「つくる会」教科書は、アヘン戦争に清が敗れたことが日本では「大きな衝撃を与えた」のに、中国・朝鮮では欧米の「脅威をじゅうぶん認識することができなかった」と書いています。また「中国には昔から、自国の文明を世界の中心と考える中華思想があり、イギリスなどは、世界のはての野蛮な民族であるとみなしていた」とも述べています。要するに中国や朝鮮は西洋の脅威に目覚めなかったのに、日本は幕末からすでに目覚めていたのだ、だから日本は独立できた、中国や朝鮮が独立できなかったのは当然だ、というのです。

D 大日本帝国憲法と教育勅語
 大日本帝国憲法は、天皇が絶大な権限を持ち、国民には基本的人権を保障しなかった憲法だったというのは、常識といってよいでしょう。だからこそ、戦後日本では国民主権・基本的人権・戦争放棄を柱とする日本国憲法が新しく制定されたのです。ですから他の教科書では、明治憲法のところで、その問題点を記述するのが常識となっていました。ところが「つくる会」教科書は、新旧版とも明治憲法の問題点にはまったくふれず、「国民は法律の範囲内で各種の権利を保障され」たと書き、明治憲法下の人権抑圧にはまったくふれていません。さらに「憲法を賞賛した内外の声」という資料を掲載して、大日本帝国憲法を賛美しています。日本国憲法については、その良さをたたえる文言はありません。日本国憲法を否定し、大日本帝国憲法を肯定する教科書といえます。
 戦前の教育では、教育勅語が絶対とされ、そのもとで天皇のために喜んで命をささげる国民が育てられたのでした。「つくる会」教科書は、教育勅語をなんら批判することもなく、「父母への孝行や、……非常時には国のために尽くす姿勢……を説いた教えで……近代日本人の人格の背骨をなすものとなった」とまで持ち上げるのです。旧版は全文を原文のまま掲げ、危急の事態には、天皇をいただく日本国の運をたすける、とその意味を説明していました。新版では原文掲載をやめて、一部を意訳してのせていますが、そこには「危急のことがおこったときは、進んで公共のためにつくさなければならない」と書かれていて、天皇は姿を隠しました。天皇のためということを隠して、国家のために命をささげる国民をつくりたいのでしょうか。

E 日清・日露戦争
 日本は「朝鮮における清朝との勢力争いに2度敗北した」とか、ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したので、このまま黙視していたら手遅れになるなどを開戦の理由としてあげ、日本が日清・日露戦争を行ったのは当然であると主張します。この主張は、当時の日本の支配層のなかにもあった専守防衛論を無視して、その後のはてしない侵略戦争へ導いた対外膨張戦略を当然とする一方的な考え方です。それを前提にして、「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった。日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した」と述べ、その後の戦争全体の肯定にみちびく基盤をつくるのです。日清・日露戦争とも日本が攻められて戦場になったわけではなく、戦場は朝鮮半島と南満州でした。このことから考えても防衛戦争といえるものではありません。しかも、日露戦争の勝利が朝鮮の植民地化につながったことには目をふさいで、「植民地にされていた民族に、独立への希望をあたえた」と、まったく矛盾したことを平気で述べています。
 同時に、日清戦争では「日本人全体の意識が、国民として一つにまとまっていたこと」が勝因の背景にある、「官民あげてロシアに対抗するための国力の充実に努め」たなどと述べて、支配者によってこのころからつくりあげられていった国家への奉仕を、あたかも自発的な「国民」の国家への献身であるかのように描き出します。これからの国民にも国家への奉仕の精神、いいかえれば愛国心を養おうというねらいです。

F 韓国併合
 日清戦争の前に「朝鮮半島と日本」という「読み物コラム」をもうけ、「日本に向けて、大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。」「朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本の独立はあやうくなる」と述べ、さらに元寇のことまで持ち出して、「元寇の拠点となったのも朝鮮半島だった」として、朝鮮半島の存在自体が日本にとって危険であるかのような認識にみちびこうとしています。そのうえで、韓国併合については、「日本の安全と満州の権益を防衛するために必要」だったという政府の考えと、欧米諸国も承認したことだけを述べて、日本側の立場を一方的に記述しています。韓国併合後の日本の統治によって生じた被害の実態や、それに対する抵抗運動もごく簡単に扱われているだけです。

G 中国侵略
 満州の権益は条約で合法的に認められたものであり、それに対し中国側の排日運動が激しくなったから、日本が軍事行動をおこしたのだという考え方にもとづいて書かれています。満州事変にはじまる日中15年戦争の記述は、「中国の排日運動」の記述からはじまります。

H アジア太平洋戦争
 「つくる会」教科書は、これを「大東亜戦争」とよんでいます。この「大東亜戦争」という名前は、アジアを米英の植民地支配から解放するための戦争だという意味をこめて当時の日本政府がつけた名前でした。しかし当時の日本政府は、日本の植民地だった朝鮮の独立を認めるとは一言も言いませんでした。この事実だけをみても、アジア解放のための戦争というのは嘘だったことが一目でわかります。それだけでなく、日本が占領したアジア太平洋各地から石油・ゴムなどの資源を奪い、住民を強制動員して過酷な労働に従事させました。また、多くの女性を日本軍の「慰安婦」として性奴隷にまでしたのです。
 こうした事実を無視して「つくる会」教科書は、「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの多くの人々に独立への夢と希望を育んだ」と述べています。さらに旧版にもなかった「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」という文書資料を新しく付け加えました。しかしいまのアジア諸国のなかで、日本のおかげで独立したと考えている国など一つもありません。

I 日本の加害の事実
 「慰安婦」は全くかかれていません。南京大虐殺については本文の中のカッコ書きから注に移し、「南京事件」として一応書いていますが、「この事件の実態については資料の上で疑問点も出され」と否定論を追記しています。強制連行については、新版の申請本では「徴兵や徴用が、朝鮮や台湾にも適用され」と、あたかも強制ではなく法にもとづく徴用であるかのように記述し、強制の事実を隠蔽しています。東南アジアでの労務者の強制動員、植民地朝鮮での日本への同化政策と天皇への忠誠心の強制など、アジアへの加害の事実はほんの申し訳程度にふれているだけです。台湾については、加害にふれずに、「台湾の開発に力をつくした八田與一」というコラムをのせ、日本の植民地支配を賛美しています。

J 戦争と国民
 アジア太平洋戦争末期のところで、「日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った」一般国民も「このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」と称えています。なぜ人命を尊重せずに全滅するまで無理な戦いをしたのかという問題も、戦争そのものの善悪も考えさせずに、ただ国のためにつくしたのが尊いということを子どもたちの頭に植え付けようとしています。
 一方、日本の受けた被害は軽くしか扱っていません。広島・長崎への原爆については、それぞれ「投下した」とたった一言書くだけで、その被害の実相は全く書いていません。原爆による犠牲者数さえ書いていません。被爆国日本の教科書としては驚くべきことです。15万県民の命を奪った沖縄戦もたった2行半です。

K 対米関係
 ペリーが白旗を渡したという砲艦外交の記事や、アメリカの対日作戦計画(オレンジ計画)の記述、1941年の日米交渉での「アメリカは日本側の秘密電報を傍受・解読し、日本の手の内をつかんだ上で、日本との交渉を有利になるように誘導した。」という記述などが削除されました。かわって、アメリカのグルー元駐日大使が奔走し日本を壊滅から救ったというコラムを掲載しました。全体として近代全体を通じて反米的な記述をなくし、親米の方向に転換させています。新安保条約については、日米対等になったことを強調し、湾岸戦争では軍事行動に参加しなかったために国際社会が評価しなかったと述べています。アメリカとさらに協力関係を強めるべきだという主張をこめているように思われます。

L 「考えてみよう」の内容
 新版では、「考えてみよう」と題する課題学習的な、生徒の自主的な思考をうながすかのような内容が随所におかれています。しかしそれらは、決して自主的・主体的な思考をうながすものではなく、歴史的に無意味な課題か、何を問うているのか意味不明の課題、あるいは特定の答に誘導するような課題になっている場合が多く見受けられます。この点でも中学生の学習のための教科書として不適当と思われます。
 いくつか例をあげましょう。
○十七条憲法の内容で、現代の日本に通じると考えられる条文をあげてみよう。
○藤原氏が実権を失うとすれば、どのような場合だと考えられるだろうか。
○元寇が100年早かったら、どうなっていただろうか。いろいろな面から考えてみよう。
○廃藩置県にあたって、藩が反乱をおこさなかった理由を考えてみよう。
○日米安保条約の改定は日米両国が対等になることだったのに、なぜ反対運動がおこったのだろうか。


2.「つくる会」公民教科書の問題点
@ 自衛隊
 「つくる会」教科書は「自衛隊は自国の防衛のためにに不可欠な存在」としたうえで、「日本国憲法における位置づけが不明瞭ならば、憲法の規定自体を変えるべきだとの意見もある」として、事実上憲法改悪を推進する記述となっています。そして、これまでの国際貢献は経済援助が中心だったが、「わが国にも相応の軍事的な貢献が求められるようになった」と述べたあと、湾岸戦争以後の自衛隊の海外派兵(後方支援)の実績をあげ、自衛隊の「軍事的な面での国際評価も高まりつつある」、わが国が「責任ある国際社会の一員として認められるようになってきた」などと述べて、自衛隊の海外派兵を全面的に肯定しています。さらに「自衛隊がより国際的な責任を果たせるよう、集団的自衛権を『行使することができる』と解釈を変えるべきだという主張もある」などと、今日の憲法「改正」論にいっそうふみこんだ記述を行っています。日米安全保障条約については「わが国だけでなく東アジア地域の平和と安全の維持に大きな役割を果たしている」と評価し、批判的意見はまったく紹介していません。周辺事態法の成立によって「米軍との協力・支援体制が強化されることになった」と、これまた全面的に肯定しています。
 いままで日本国憲法に規定がない国防の義務を書いた教科書はありませんでした。しかし「つくる会」教科書は新旧版とも各国の憲法に記載された国防の義務を資料として掲げています。

A 基本的人権
 「基本的人権の保障」という2ページの項目のうち半分は「公共の福祉と国民の義務」にあてられ、ここで国防の義務についても述べています。また、他の教科書では安易に人権を制限してはならないことも述べられていますが、「つくる会」教科書にはそのような記述はなく、しかも「公共の福祉」の名の下で、社会の秩序維持という理由で人権を制限できるとしているのも、特殊な考え方です。これでは、簡単に人権が奪われることを肯定することになります。

B ジェンダーと家族
 「つくる会」会報『史』には、「個人を尊重しすぎて家族を崩壊させて」はならないとして、「自分は個人であると同時に家族の一員であり、地域の一員であり、国家の一員であるという現実をきちんと教えます」と書かれています。家庭・学校・地域・国家という同心円的なひろがりのなかで、国家への奉仕を教え込もうとしていることがわかります。
新版では、とりわけ男女共同参画社会に危機感をつのらせています。「男女共同参画社会の課題」というコラムをもうけ、「男らしさ、女らしさという日本の伝統的価値観を否定している」という意見をことさらにとりあげたり、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」と定めた宇部市の特異な条例を大きく紹介したりしています。両性の平等をなんとか否定する方向に誘導しようとする教科書です。

C 愛国心と伝統文化
 「つくる会」教科書は、国旗・国歌を大きくとりあげ、「国旗・国歌に対する意識と態度」という2ページのコラムももうけて、愛国心と結びつけて教えようとしています。また「日本の文化を見つめ直そう」という2ページの課題学習を新たにもうけ、日本の伝統や文化の継承者としての自覚を育もうとしています。『史』によれば、それを通じて「日本の一員としての自覚」を育てることがねらいです。

D 天皇の地位
 「国民主権」の項の2ページののうち半分は天皇についての記述にあてられています。そこでの天皇についての記述はたいへん特異なものです。「皇室は、国の繁栄と人々のの幸福を祈る祭り主として、古くから国民の敬愛を集めてきた」、「国家が危機をむかえたときには、国民の気持ちをまとめ上げる大きなよりどころとなってきた」というなんの証明もない特異な歴史観を述べ、さらに大日本帝国憲法のもとでも、天皇は大きな権限があたえられていたが、「実際は国民の精神的中心としての役割が大きく」と述べています。そのうえで、「天皇は直接政治にかかわらず、中立・公正・無私な立場にあることにより、古くから続く日本の伝統的な姿を体現し、国民の統合を強める存在となっている」とまとめています。結局、歴史上も日本国憲法の上からも根拠のない特異な天皇観を展開しています。

E 大日本帝国憲法と日本国憲法
 大日本帝国憲法が天皇主権の国家体制をつくり、国民の自由を奪い人権を抑圧した非民主的憲法だったことにはふれずに、「国民にたたえられた大日本帝国憲法」という資料が掲載されています。一方、日本国憲法については、GHQが一週間で作成した憲法草案を「日本政府に受け入れるようきびしく迫った」と述べて、占領軍から押しつけられた憲法だということを強調し、そのうえ「世界最古の憲法」という読売新聞の記事も資料として引用しています。日本国憲法が国民にたたえられたという資料はまったくありません。憲法を学ぶ節のなかで、基本的人権の項の前に「憲法改正」という独立の項をおいているのも異常です。日本国憲法の優れた特質とその歴史的意義をきちんと学ぼうとするのではなく、日本国憲法を「改正」すべきだという姿勢が前面に出ている異常な教科書です。


3.「つくる会」教科書は学習指導要領に忠実か
 「つくる会」歴史教科書について『史』では、「学習指導要領の目標を実現できる教科書」だと主張しています。学習指導要領の目標のなかで「我が国の歴史に対する理解と愛情を深め、国民としての自覚を育てる」としている点を大きくとりあげています。学習指導要領のこの部分については強い批判があります。歴史の記述は学問研究の成果の一つであり、そもそも愛情を持つ対象ではありませんし、それを国民としての自覚を育てるために利用すべきものでもありません。冷静に批判検討し、将来に生かすべきものです。まして愛情をもつかどうかは個人の内心の自由の問題であり、学習指導要領の名によって一人ひとりに愛情を強制すべきものではありません。この学習指導要領のもっとも悪しき部分を根拠にして「つくる会」教科書こそが学習指導要領の目標をもっとも実現できる教科書だというのですが、学習指導要領には「民主的、平和的な国家・社会の形成者」や「国際協調の精神」と述べている部分もあります。これらの部分を「つくる会」は無視しています。「歴史的事象を多面的、多角的に考察し公正に判断する」という学習指導要領の目標には程遠いことを自ら明らかにしたものといえます。
 公民では、学習指導要領が教科書に求めていることは「国民の健全な常識の反映」だと何の根拠も示さずに断定し、だから「つくる会」教科書は「学習指導要領に最も合致した教科書」だというのですが、これは実に飛躍した論理といわなければなりません。「つくる会」が「健全な常識」だと考えているのは、どうやら憲法改正は当然、個人よりも国が大切という考え方のようですが、それは決して国民大多数が合意した「健全な常識」とはいえませんから、まずこの点で「つくる会」の主張は成り立ちません。そのうえ学習指導要領にはどこを探しても「国民の健全な常識の反映」などという文言はありませんから、この点でも「つくる会」の主張は成り立ちません。
(了)
 
 
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