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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
  《留学同通信》No3  
   
  メディアを斬る  
     
 

今年6月13日、橋下徹大阪市市長が「従軍慰安婦」問題に関して、「銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら(慰安婦制度が)必要なのは誰だって分かる」という発言をし、その発言に国内外から非難が殺到した事は記憶に新しい。

メディアも一連の橋本市長の反論とそれに対する非難の応酬をこぞって取りあげ、橋下市長の過去の発言を「批判」する記事も多々見られた。

しかし、この一連のメディアの橋下市長に対する報じ方や、非難の論調に私は違和感を感じずにはいられない。勿論、橋本市長の件の発言を宥恕し得る社会機構、風潮があってはならないのは論を待たないが、「人権感覚が欠如し、誤った歴史認識を改めず暴走する橋下徹」という一個人の問題に集中させ、帰結させてしまうと、問題の本質を矮小化してしまわないだろうか。

橋下市長がその歴史認識について論じる際に、第一次安倍内閣の「軍が強制連行に関与した記述を示す証拠はない」という閣議決定を援用しており、橋下市長の「歴史認識」というものの背景に、安部総理の「侵略の定義は定まってない」という発言や安部内閣の「河野談話」を見直す動きを筆頭にする日本政府の右傾化の動向があった事に留意しなければならないだろう。

そして、その閣議決定や歴史認識を容認したのは、戦後変容し続けた日本社会全体の「戦後補償」「戦後責任」観であるという事もまた留意しなければならない。

その本質的な部分を問うことができず、ただ今回の問題を「ゴシップ」としてしか報道できないメディアは、果たして社会的責任を果たしているといえるだろうか。

日本の人々が歴史を振り返るときの視点は、(「反戦」ドラマや映画でも顕著なように)おおよそは「東条英機等の極悪指導者により民衆は戦争に導かれ、300万もの家族、友人、同胞を失い無惨な敗戦をもたらされた」という被害・疲弊感に満ちたものであり、結局「戦後責任」とはどこまでいっても自らとは切り離された「極悪指導者」の責任であり、近代以降の「脱亜入欧」観の下で侵略・植民地化された朝鮮や、中国などアジアの国々に対する「戦後責任」というものは思考の範疇外であった。

そして、「戦後責任」は日本社会において深められるどころか急速に風化しはじめ、むしろ21世紀に突入する頃には、「戦後責任」に対するシニシズム的風潮、居直りが蔓延るようになった。

「アジア諸国に対して確かに酷い事をしたが、だからこそ国交正常化に伴い賠償や経済援助を行い、戦後50年以上経っても散々謝罪してきたじゃないか」「何故今になっても謝罪や賠償を要求され続けなければいけないのか」といった具合である。

このシニシズム、居直りに対して、被侵略者にもたらされた惨禍は過去のものではなく現存する消える事のない痛み、傷跡であり、そうであるにも関わらず尚十分に補償がなされてない側面を指摘する事は重要である。

徹底してそのような指摘を私達はしていかなければいけないが、一方で「戦後責任」を考える時に、日本の根本的な「あり方」について考えなければならない。

戦後責任否定を容認する日本市民の不作為、そしてその中で「排外主義」による在日朝鮮人に対するジェノサイドを容認する不作為があった。「自分には関係がない」という不作為が、他者を抑圧してきたのであり、メディアは積極的にその抑圧に加担してきた。

私たちは、不当なあり方に対し抵抗するために、学び、声を上げ、運動していかなければならない。それは、日本の人々が応えるべき「戦後責任」への呼びかけでもある。 (留学同東海K.S)

 

 
     
     
     
 
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