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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
  《留学同通信》No3  
   
  《特集》マダンに行こう  
     
 

《マダン》とは朝鮮語で《場》という意味で、在日コリアン学生が一堂に会し、様々な交流を通して民族的絆を深める留学同の一大キャンプです。今や留学同の夏の一大行事といえば《マダン》で知れ渡りましたが、そもそもは留学同《サマーセミナー》というのが始まりでした。そしてサマーセミナーの愛称として付けられた《マダン》が今日の夏の一大行事の名称になったのでした。
それではこのサマーセミナー、毎年当たり前のように行われている行事ですが、いつから始まったのでしょう?

 
留学同中央の資料によれば、サマーセミナーが始まったのは今から32年前となる、1981年にまでさかのぼります。それ以前までは《夏の短期講習》と《サマーキャンプ》と別の行事をそれぞれ行っていました。しかし、時代の変化と世代交代、同胞学生の要求を鑑みて、それらを統合させた《サマーセミナー》が始まったのでした。
さて、その記念すべき第1回のサマーセミナーはというと、長野にて7月25日〜8月1日の7泊8日という長丁場。内容は大きくはセミナーとキャンプという2大柱。ただし、やはりあくまでもセミナーということで、毎日講義があり、合間にキャンプの要素がちりばめられていました。


では初めて《マダン》という名称が使われたのはいつからでしょう。
それは、サマーセミナーが始まって10年後の1991年−長野にて8月3日〜5日の2泊3日でく《ザ・フェスティバル マダン’91》という名で行われました。
それまでセミナーとして行っていたものを、さらに多くの同胞学生が集う行事にしようということで、文化、体育を前面に押し出した”フェスティバル”という形で行われました。
内容も歌舞団による公演、劇団アラン三世の演劇、安聖友マジックショー、チョゴリファッションショー、そして、スポーツ大会、クイズ大会、キャンプファイヤー、文化公演と多彩な内容でした。
このように大きな転換で動員数も403人とそれまでより大幅に増やし、大阪だけでも113人という同胞学生が集まりました。 しかし、それ以上に驚いたのがこの時の動員目標。なんと700人であったということ (笑) 。
(留学同中央の総括ではしっかりと”動員不足”の文字が…)

 91年のマダンは400人以上を動員したこともあって、留学同活動はそれまでの”枠”にとらわれることなく、新たな方法を模索し、より多くの同胞学生を訪問談話し、留学同に網羅し、彼/彼女らの中に深く入っていけばこれだけの行事ができるという自信と確信が持てた、決定的な転換点となった《マダン》でした。(当時の留学同イルクン談)

 その後は再び《サマーセミナー》の名称で行事は行われ、今の《マダン》という名称が継続して使われ始めたのは96年からでした。《サマーフェスティバル マダン’96》には参加者も再び357人と例年より増え、再び留学同活動活性化の契機となりました。

 96年以降、様々な形で、内容で、経験を積み重ねて継続してきた《マダン》ですが、近年留学同の転換点となったマダンについても紹介したいと思います。

 一つは2005年に行われた《マダンAnniversary》。
その名の通り、留学同結成60周年を記念して行われた《マダン》でした。
一時期《マダン》は東西別やブロック別で行われていましたが、60周年ということで、再び”全国”で行われ、数年ぶりに全国規模の大衆行事が行われました。

 そしてもう一つが、《マダンMAX》。2008年に行われたこの行事は”Anniversary”以降、再び全国単位で行われた《マダン》で、場所も今ではおなじみハチ高原‐”やまとよ”にて初開催されました。
最初はなじみのなかったこの”MAX”という言葉は《マダン》準備過程から当日まで広く浸透し、写真を撮る時も”MAX”ポーズ。行事名称にも”MAX”をつけるなど、一世を風靡し、MAXというだけ一大行事となりました。

ここで当時の副実行委員長を務め、現在京都委員長に話を聞いてきました。

 色んな地方から同胞学生が集まり交流するマダンはどの年も楽しくて良い思い出ばかりなのですが、「マダンMAX」は3年ぶりの全国単位開催で、私自身実行委員として携わったので、その思いも一入です。
 実行委員会ではマダンの目的や意義、どんな企画をすれば良いかなど、かなり真剣に議論重ね、さらに「演劇をやろう」というのに対し、「今の力量では自信が無い」などと反対したりと、とにかくかなりもめました。
でも、議論を重ね、マダンの意義はもちろんマダンに向けて今の自分たちは何をしなければいけないかをしっかりと確認し、最終的には「今までのどのマダンよりも最高なマダンにしよう!」と実行委員たちで一心団結することができました。(そんな感じで行事名称もMAXに笑。)一度みんなで団結するとその後は簡単なもので、多少大変なことがあってもその都度実行委員や支部委員と連絡をとって目的や意義を確認し合い、動員活動や文化公演の準備に取り組んでいきました。
 当日は、たくさんの企画があったのですが、充実しすぎてあっという間に終わってしまったなという感じです。でも、今までにないほどの同胞学生が集まり、2日目の夜に行った文化公演は、それはもう大盛り上がりで、みんなで汗ビッショリになりながら楽しいひと時を過ごしました。
当時の写真や映像を見ると懐かしくて恥ずかしくもあるのですが、今年も変わらずマダンが開催されるというのが嬉しいですし、「マダンMAX」よりももっとたくさんの同胞学生たちに参加して欲しいなと思います。

 京都委員長コマッスムニダ。
 それまで”全国行事”は少なく、この時実行委員をやったトンムたちは全国のトンムたちの前でとても輝いていました。

 このように今回は《マダン》の歴史を追ってきましたが、《マダン》が留学同の運動において節目節目で非常に重要な役割を担い、運動を活性化させ、学生たち自身も成長する非常に大きな力を持った一大イベントだということを改めて知ることができました。

 

 サマーセミナー初開催から32年、今でも留学同が《マダン》を行い、昔と変わらず同胞学生が一堂に会し民族の絆を深め合う、このような行事は《マダン》の外ないと考えると学生時代に全て参加しても4回しかない《マダン》は貴重な”場”であり”時間”あると思います。

 

今年の夏も《マダンDX》で最高の夏を過ごしましょう!

 
     
     
     
 
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