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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
  ≪留学同通信≫No6  
   
  統一を夢見た人士たち〜呂運亨〜
 
     
 

1886年、京畿道で生まれ、1947年に凶弾によって倒れるまで、呂運亨の一生は、朝鮮が近代国民国家の樹立を目指しながら日本の侵略に直面して植民地に転落し、その中で独立を求めて内外において抗日闘争が繰り広げられ、朝鮮の解放を迎えた時期と重なる。

そして、真の独立統一国家建設の闘いの中、反動勢力により暗殺されたという事実が、現在まで分断を強いられている朝鮮民族の近現代史を象徴するものといえる。

日本による植民地支配の時代には、情勢を広く注視ながら、朝鮮国内、中国、ソ連、日本と飛び回り、朝鮮の独立のため、政治活動を繰り広げた。

第一次世界大戦の講和会議に朝鮮からの代表を送り、朝鮮の独立を国際世論に訴える活動、上海における大韓臨時政府の組織、三・一独立運動後の日本訪問、モスクワでの遠東被圧迫民族大会への参加、中国革命への関与などの諸活動が有名である。

 そうした呂運亨の活動は日本の支配権力による弾圧の対象となり、逮捕・投獄も経験するが、呂運亨の活動は妥協することなく続けられる。

日本帝国主義の崩壊に際し新たな朝鮮の国家建設をにらんだ建国同盟の発足、そしてそれが日本の敗戦後に建国準備委員会、朝鮮人民共和国の樹立まで発展していく中心には呂運亨がいた。

 1945年8月16日、「朝鮮は解放された」と呂運亨が演説するのを一目見んと徽文中学校のグラウンドには数千人の群集が集まったという。

その中で新国家建国事業に関する声明が放送されると、全国各地で自然発生的に立ち上がった人々が、抗日闘士を中心に建国準備委員会の組織を作っていき、1945年8月末までには145の支部が設置されていた。

 そして、建国準備委員会は米軍の上陸を目前にした9月6日、日本帝国主義の駆逐・外国勢力による妨害の排除・自主的独立・真の民主主義社会の実現を目指した「朝鮮人民共和国」の創立を宣言する。

それは「左翼であれ右翼であれ、国内外の革命家と抗日の闘士を含め」、「もし外来勢力による干渉がなかったならば、…中略… 数ヶ月を出ずして朝鮮半島の全域において勝利を占めたであろう」(ブルース・カミングス)、朝鮮人による、朝鮮人のための国家であった。

 その後朝鮮の独立・統一をめぐった最大の分岐点となる信託統治問題においても、呂運亨は常に人民大衆を主権者とする自主的統一国家を求め、外勢に依存・協力する親日派・民族反逆者を除いた、政治的立場を超えた左右の合作、民族統一戦線の確立を目指し奔走した。そうした激動の中、呂運亨は右翼青年韓智根の撃った銃弾によって暗殺された。

朝鮮の独立・統一のために全生涯を捧げた呂運亨は志半ばで倒れたが、祖国の分断以降も、内外において韓国の民主化運動、朝鮮の自主的統一運動を担ってきた大きな潮流の一つは、明らかに呂運亨の遺志を継ぐものであった。

その勇姿と遺志は自主的・平和的統一の道を進む現在の朝鮮民衆の中にも確実に生きている。 (編集部)

 
     
     
     
 
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