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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
  ≪留学同通信≫No7  
   
  統一を夢見た人士たち〜白凡 金九〜
 
     
 

 南朝鮮の第16代大統領・盧武鉉は、自身が尊敬する人物として金九の名を挙げている。
 金九は、北・南・海外を問わず多くの同胞に尊敬される民族主義者であり、統一人士の一人である。
 1876年、黄海南道の貧しい家に生まれた金九は、1894年に甲午農民戦争が起きた際、農民蜂起軍として参加しこの頃から独立運動に立ち上がっている。20歳の時、日本軍将校を殺害し投獄されるが脱獄し、1899年からは黄海道各地における学校設立運動を導いた。その後も1910年にソウルで「新民会」を開くなど精力的に活動した。1928年には「韓国独立党」を結成し、その党首として、1940年には「大韓民国臨時政府」主席に就任するなどして、抗日独立運動を繰り広げた。
 祖国解放後は、南朝鮮で「民族統一総本部」副総裁を務めた。この時、1947年11月に開かれた国連総会で、南北分断を助長する「南朝鮮単独政府樹立案」が米国の主導で可決されるや、金九は激しく反対した。彼は「祖国なければ民族なし」と題して、南朝鮮での「単独選挙」実施に反対し、あくまで統一政府樹立の必要性を訴え、南北統一を進めるべきだと主張した。
 そして南北分断の危機を朝鮮民族の手で防ごうと、1948年に歴史的な「4月南北連席会議」が平壌で開かれた。金九は金日成主席の招待を受け、万難を排して38度線を超え、連席会議に参加することになった。このとき主席との接見が実現したのである。金九は連席会議と、主席との接見を通じて、北の人民の統一への思いと政見を超えた民族大団結という会議の趣旨に共感し、それまでの反共思想、右翼民族主義から連共、自主的平和統一運動へと転じた。
 この時、語った金九の感想を紹介する。
 「家庭が平凡な百姓の家だから、どうしてあの方が百姓を思うことが偶然だといえようか。金日成将軍が導くことこそ、朝鮮は幸せになれる。真の共産主義が、金日成将軍がもたらす政治であるとすれば、私がどうして反対するだろうか? 私は金日成将軍の行く道をしたがう。この道だけが、わが民族が進むべき道である。」
 南側に戻った金九は、祖国の平和的統一のために生涯を通じて尽力するが、1949年6月、李承晩一派が仕向けた安大熙によって暗殺されてしまった。
 祖国統一のために尽力した金九をたたえ、1990年8月共和国から「祖国統一賞」が授与された。

   このように祖国の独立と統一のために多大な功績を残した金九であるが、最近南の一部教科書では、金九を「単独選挙が民族を分裂させるとして反対し、北との協商を通じて南北分断を防ごうとした」から、「大韓民国の建国に参与しなかった」と記述を変更しようとしている。記述はおろか、金九に対する評価や統一運動の歴史的解釈まで都合よく変えてしまおうという動きに、私たちは十分警戒しなくてはいけないだろう。(編集部)
 
     
     
     
 
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