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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
 

≪留学同通信≫No9

 
   
  留学同結成70周年を迎えて 留学同京都卒業生
 
     
 

Q、留学同結成時について教えてください。
 1945年8月。ある日に、日本人が泣いていました。なんで、泣いているのか最初は分かりませんでしたが、ラジオから玉音放送が流れていた。それを聞いて泣いていたんです。最初は信じられませんでしたが、どうやら本当に日本が敗戦した。私たちは解放されたんだと同胞と共にと喜びました。汚い朝鮮人、怠け者朝鮮人、バカ朝鮮人とののしられていた日々から解き放たれた。これから、新たな朝鮮を建設しようと意気込みました。
 留学同(当時は朝学同)が一番最初に出来たのは京都です。京都大学(当時の京都帝国大学)が中心になって留学同を結成させました。私もその時に参加しました。
 京都大学を共に通っていた李升基博士(後に帰国し、ビナロンの発明など科学者として祖国に貢献した)と留学同を結成させました。京都大学に通っていたのは10名。他の同志社に通っていた同胞学生にも声をかけて、その中で李升基博士は中心的人物でした。彼は、民族心が非常にある人でした。
 京都大学同窓会が結成されました。しかし、その当時大学に通っている同胞は多くありませんでした。
 京都だけではなく、兵庫、大阪、愛知にも留学同を作ろうと行動しました。
 京都は万寿寺に集まり留学同を結成させました。悪辣な環境の中で、同胞の衣食住の問題を解決すること、それを京都府庁に訴えたりしたりする活動を行ったりしました。京都の宇治の倉庫にはまだ物資が多く合って、その物資を得たりするために闘争したりしました。
 米、ビスケット、角砂糖、煙草、これらは貴重だった。特に煙草は貴重でお金になったんだよ。また、コンビーフも貴重だった。牛肉だ!と言って飛びついたよ。
 学生たちは民族教育、これをうちらがしなければという意識がありました。
 国語講習所を建設していったわけだけど、講師は基本的に留学同の学生たちが担当をしました。
 在日朝鮮人運動の中で、民族教育は長いが、留学同が無かったら、民族教育は屋って来れなかったと言っても過言ではありません。
 トンムたちには留学同が無くなったらダメだということをわかってほしい。留学同が在日朝鮮人運動史の中でやってきたことは大きい。特に、民族教育への貢献度は。
 また、朝鮮人の権利獲得のために積極的に活動しました。
 本当によく闘いました。それは、ある時は分断によって同じ民族同士が日本で争った事もありました。
 留学同は本当に在日朝鮮人運動において重要な役割をこれまで果たしてきました。

Q、今の留学同の学生たちにメッセージをお願いします。
 青商会が最近頑張っていますね。留学同ももっともっと頑張ってほしい。青商会は今、同胞社会において非常に元気を与え、引っ張って行っている存在だと思います。留学同も最前線で同胞社会を引っ張って行く存在であってほしいですね。そのためには、この70周年に際して、代を継ぐということを意識してほしいと思います。代を継ぐことは大変なことだけれども、今の留学同の学生たちにはその役割を責任を持って果たしてほしいと思っています。
 1世、2世が作り上げた、留学同、あるいは同胞社会を次の世代につないでいくのは、今のトンムたちですし期待しています。

(留学同京都卒業生)

 
     
     
     
 
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