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在日朝鮮留学生同盟中央本部
 
  
 
  ≪留学同通信≫No9  
   
  統一を夢見た人士たち〜林秀卿〜
 
     
 

 1989年7月1日から8日にかけて、平壌を開催地として「反帝国主義の連帯と平和親善」をスローガンに開催された第13回世界青年学生祭典。ここに180カ国、約2万2千人の学生が参加し、南朝鮮からも全国大学代表者協議会(以下全大協)から林秀卿が代表として参加した。
 当時南朝鮮は学生による民主化運動が盛んに繰り広げられ、1988年頃からは統一運動が活性化、それが社会各層にも拡散し、統一の雰囲気が高まった状態であった。運動を牽引していた全大協は運動の方向性に悩んでいたが、あらゆる党が政権維持のために南北関係を利用していると考え、民主化運動の核心は祖国分断の克服にあると判断した。
 そんな中、平壌にて第13回世界青年学生祭典が開かれ代表団として参加することが提案されたが、南朝鮮政府は全大協から代表を派遣することに対して、絶対阻止の方針を打ち出していた。祭典に参加すべくあらゆる手段で平壌を目指した学生たちは次々と警察当局に捕まえられたが、こうなることを見越していた全大協は当時韓国外国語大学4年生だった林秀卿をひそかに派遣したのであった。
 林秀卿は代表に選ばれ訪朝することになったのだが、そのことについて後にメディアを通じてこう語った。
 「(選ばれたことに対して)それに対して拒絶や拒否をするということは、今まで私が歩んできた道に対しての矛盾でした。」
 祭典中、演説原稿の用意はせず自然且つ力強い発言をする姿は見ている人々を釘付けにし、チマチョゴリではなくTシャツとジーンズという共和国では斬新なスタイルが、なお一層共和国人民に衝撃を与え、在日同胞の目にも焼き付けられた。
 朝鮮民族全体の関心が高まり帰還について注目がされる中で、彼女は板門店を通じ南へと戻ることを決意する。しかし、その行為は何よりも林秀卿自身に安全が保障されておらず、また共和国と国連の許可無く渡ることは許されなかったが、世界各国の青年学生と国際平和団体がそれを支持した。
 板門店からの帰還を実現すべく、林秀卿とそれを支持する青年学生が断食闘争に踏み切る。100余名の青年学生がともにたたかい、それでも許可がおりず苦しい戦いが続く中でも、林秀卿の決意が揺らぐことはなかった。
 1989年8月15日、分断の壁の前に立った彼女はそれを越える前に、3千万同胞と闘争をともにした仲間に向かって、統一に向かって共に歩んでいこうという言葉を最後に、分断線を越え南の地へと入った。

      全大協の代表としてたった一人で参加した彼女の決死の行動は、同じ学生という立場で運動をおこなう同胞学生たちにも絶大なる支持と感動を呼び起こしたそうだ。     

(編集部)

 
     
     
     
 
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