いつもお天道さまが守ってくれた〜在日ハルモニ・ハラボジの物語〜
著者/朴日粉
出版社/梨の木舎
発行年月/2011年2月
価格/1,575円(税込)
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1世ハラボジ、ハルモニ達の出生から現在に至るまでの物語が、生々しく綴ってある。。
1910年代から1930年代の日帝による植民地支配の時代に生まれ、太平洋戦争、朝鮮戦争、高度経済成長、バブル、そして現在と、まさに「激動の時代」を生き抜いてきたオルシン(お年寄り)達である。その半世紀は、今我々3世4世に残された民族教育という遺産が、どれだけ多くの血と汗にまみれたものかということを物語っている。植民地時代に生まれた朝鮮人にとって、自民族の言語、風習、文化を学ぶことは一番の希望だった。民族的アイデンティティーを奪われ、名を名乗るだけで蔑まれ虐げられた人間にとって、自らの尊厳を取り戻すことだけが彼/彼女らの生きる原動力となったのである。
そしてその過程で、絶対に欠かすことのできないいくつかのワードがある。ハラボジ、ハルモニ達が自らの半生を語る上で、必ず出てくる言葉。
まず、祖国である。彼/彼女らのいう祖国(もちろん、それは「在日の言う祖国」と一致する)は、単に地理的、あるいは共同体としての意味を指しているのではない。「祖国」は在日にとって、精神的、心理的に帰属する場所を表しているのである。生来から朝鮮民族の誇り、自負心を持つことを許されなかった当時の朝鮮人、並びに現在でもその状況が変わっていない在日にとって、祖国とはまさに精神の一部であったと言えるだろう。
次に、在日同胞の連帯である。在日同胞の連帯、祖国と在日との連帯。生活に行き詰ったとき、助けてくれたのはいつも在日同胞であったという。どんなに自分の生活が苦しくても、身を切って助けてくれる同胞がいる、ということ。
この2つの言葉の意味を我々3世、4世は今こそ知る必要がある。
祖国解放から60年以上が経った今でも、日本当局の朝鮮民主主義人民共和国ならびに在日朝鮮人に対する蔑視観、抑圧的な姿勢は何一つ変わっていない。その状況が変わらない以上、在日にとっての「祖国」、「在日同胞」の意味も絶対に変わりえないのである。
本書で自らの半生記を赤裸々に綴った1世のハラボジ・ハルモニ達。その過程で波乱万丈な人生とは裏腹に、その顔は終始笑顔だったという。教科書では学べない人生観を、彼/彼女らは自らの生き様をもって教えてくれる。
1世の声を後世に伝えること。世代交代が進んでいる今、我々はその重要性を今一度よく検討する必要があるのではないだろうか。
(K・S−留学同西東京)
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