断ち裂かれた山河
著者/鄭 敬謨
出版社/影書房
発行年月/1984年7月(絶版)
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私達の民族は、いつからボタンを掛け違えてきているのだろうか。少なくない人々がボタンの掛け違い(朝鮮半島の分断状況の異常さ)に気づきもせず、最初からかけ直す(統一を志向する)気力さえ奪われてしまいそうな今日、改めて喝を入れて「民族自主的・平和的統一」について考えさせる名著が本書である。
朝鮮半島の統一について考える際にまず欠かせないのは「民族の解放」と「民主化」である。この二点を達成しない限り、統一を達成したとしてもそれは空虚なものとなる。一点目の「民族の解放」とはすなわち朝鮮民族の主体性を取り戻すことだ。本書でしばしば、日韓併合を願い出た親日・宋秉oと、アメリカの力で大韓民国を樹立した親米・李承晩が同類視されていたことからも読めるように、「光復」以後も南部で植民地支配の構造が続いている。
これを覆そうという動きは起こるが、そのたびに同族の反民族主義者による売国行為の妨害があるのは現在も変わらない。統一を志向するならば左右関係なく「反外勢民族自主路線」をとらねばならず、それを妨げる者にはこちら側から「もう一つの分断線」を縦に引く必要があるという。
二点目の「民主化」問題は、そもそも民主化とは何を指すか南北間で大きな認識の際があると考えられ、民主化と統一の両立は一見困難に思える。しかし真の民主化とは民族的・階級的・個人的抑圧すべてからの解放であり、それは「統一された後もたゆみなく続けられるべき恒常的努力と闘いを要求するもの」である。つまり、統一とは真の民主化への一つのステップとみなすことができるだろう。民主化は決して統一と別個で考えてはならない大きな課題である。
近年、南北統一によって受ける利益を強調する統一論者は多い。確かに経済的発展は欠かせないものの、物質的豊かさよりも、大国に依存せずとも民族自主の統一朝鮮が「本来あるべき姿」を取り戻す希望こそ、統一運動の原動力であるべきであろう。民族を愛し、祖国統一に命を懸けた呂運亨、金九、張俊河らの天国からの声に、私たちはいかに応えるべきだろうか。
(K・Y−留学同京都)
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