朝鮮新報(9/2)
日語訳 留学同中央
民団中央は8.15解放をもたらした先烈たちの真意を繋ぎ、民族的尊厳を守ることを願う
※ 原文: 朝鮮新報web版(朝鮮語)
民団中央団長「光復節慶祝辞」を見て
8月15日はわが民族が日帝の奸悪な植民地統治を終え、自主独立を勝ち取った意義深い祖国解放の日である。
さらに、住み慣れた故郷を離れ日本に連れてこられ苦役の中にいた在日同胞たちにとって8.15は運命転換の歴史的な日であり、世代が代わっても我が後世たちが民族史を再び胸に刻み、民族自主の尊厳を感じる日である。
よって全同胞は8月15日を迎える度に、日帝に反対し、武装し、命がけで戦った烈士たちと反日の旗印の下立ち上がった先代たちの業績に敬慕の情をもって感謝し、解放を祝っている。
そしてこの日を迎えるたびに、解放されながら外勢の介入から計り知れない不幸と苦痛を受けてきた民族分断の苦い歴史を刻みながら、全ての同胞の大団結で統一を成し遂げることを一時も忘れることなく渇望してきた。
しかし、民団中央団長は「慶祝辞」なるもので、民族解放を喜び祝うのではなく同族である共和国を敵対視する言動を書き並べ、総連の影響力を無くし、孤立させ、世界各地から共和国を支持する勢力を封鎖すると主張した。
南北関係改善に冷水を浴びせた民団中央
民族解放を祝う場で「慶祝辞」ではなく「対決状」を突きつけ、同族対決を叫ぶ醜態を見せた民団中央団長は初歩的な道理がわかる人間なのか、民団は果たして民族団体なのかを疑わずにはいられない。
さらに民団団長は、40余年間に渡るひどい植民地統治を敢行した日本が解放後68年経つ今日、むしろ侵略歴史を隠蔽、歪曲し、犯した罪に謝罪はおろか認めもしない卑劣な歴史観に固執し、独島の強奪企図を公然とさらしている厳然とした事実とそこに潜んだ本質から目を背け、8.15解放を記念するその日にも「韓」日間の軋轢を取り去ってくれと外勢に取り繕い哀願した。
「解放の日」を「屈従の日」に変えた民団中央団長の「慶祝辞」は永く全同胞の厳しい非難を受けることだろう。
8.15解放68周年には全同胞に喜びと希望を与え、我が民族の統一意志の底力を全世界に見せ付けた意義深い事変が広がった。
南北間の和解と団合、統一と繁栄を象徴する開城工業地区の正常化のための合意書が8.15前夜に劇的に締結された。
そして秋夕を契機に離れた家族、親戚の再会を金剛山で行うことになり、10月にはTV電話を通じた再会も行われる。
この合意は和解と団合、平和と統一繁栄を望む全同胞の一途な願いと積極的な支持声援の誇らしい結実であり、全般的な南北関係発展と周辺情勢にも肯定的な影響を与えている。
今、北と南、全同胞はもちろん、全世界がこれから南北関係でさらに大きな前進を成しえることを心から願っている。
しかし、民団中央団長は古臭い冷戦構造の思考方式から抜け出せず「慶祝辞」なるものでわざわざ共和国を持ち出し、誹謗しながら全同胞の思考と民族和合の流れに逆行する妄言を吐いたことにより、民族の念願は眼中に無く、民心に挑戦したことによって受けるであろう「反統一」のレッテルから逃れることはできないだろう。
民団同胞たちの中で「民族解放の日であり、統一に邁進しなければならない8.15の日に民団中央団長が関係改善に向かう北をけなす演説をするのが当然なのか。とても理解することができない。」と非難と嘆きの声が出たことは至極当然のことである。
遅きに失する感はあるが、今からでも民団中央は同族対決の悪習を捨て、和解と談合のための全同胞の波に力を合わせなければならない。
民族教育事業を目の上のたんこぶのように扱う民団中央
民団中央団長は「慶祝辞」で次世代育成について話しながら、この事業を就任以来自身が力を入れてきた2つの柱のうちの一つだといった。
彼が言う次世代育成事業とは中高校生及び、大学生を対象とした「母国研修」が基本であるようだが、それでいうと、総聯では一つの団体がずっと前からさらに大きな規模で系統的に行ってきたことである。
総聯は解放直後から行われてきた民族教育の伝統を継承し、初級学校から大学校に至るまで正規教育体系を整然と準備し、これを時代の要求に合わせ、不断に発展させてきた。
1946年以来、我が民族教育を通じて10万人をはるかに超える卒業生たちを輩出してきたから在日同胞社会で民族性が継承されており、2世はもちろん、3世4世たちも朝鮮語を使い、民族の風習を知り、民族文化に花咲かせながら誇り高く生きている。
民族的尊厳と素養を持ち、堂々と生きる朝鮮学校の卒業生たちは日本社会で尊得を受け、国際性をもって地域社会の発展にも寄与している。
解放後68年を迎えた今日、すでに新しい世代が在日同胞の過半数を占めており、心苦しくも少なくない子供たちが日本学校で同化教育を受けている。
そのような中で朝鮮学校は在日同胞社会で民族の代を繋ぐため、敷居を下げ、窓口を広げている。
実際に朝鮮国籍はもちろん、「韓国」国籍だけでなく、日本国籍をもった同胞子女たちも朝鮮学校で希望と抱負を抱いて存分に学び、新しい世代の主人公として育っている。
最近でも南朝鮮の人士たちが日本にきて、日本当局のひどい差別の中で、民族性を固守する朝鮮学校と学生たちの姿に、思想を超えて大きな感銘を禁じえず「朝鮮学校が正当化されることは日本が過去の誤った歴史と今の不適切な歴史認識を見直す過程」だと言った。
しかし、民団中央は同胞の子どもを朝鮮学校に送らないように必死に反対するばかりか、高等学校無償化制度から朝鮮学校を排除してくれと日本当局に要請している。
そのような民団中央が果たして次世代育成について論じる資格があるだろうか。
民団中央が我が民族教育を必死に反対しながら、団長が母国研修と文化教室を次世代育成に「全身全霊」を傾けようと言ったその意味を全く理解できない。
民団中央はあれだけ必死になって行ってきた地方参政権獲得が、あれほど信じていた保守政党によって実現可能性がなくなると、今回の「慶祝辞」では一言も言及しなかった。
もうそのようなできもしないことはすぐに取り払い、日本の地で民族的自尊心をもって共存し、堂々と生きるためにはどうすればいいかを熟考することを願う。
私たち在日同胞は北と南の首脳たちが歴史的に果たしてきた統一里程標である、7.4共同声明、6.15共同宣言、10.4宣言を固守し、履行しなければならない。
そして、その精神を具現した総聯と民団の2006年5.17共同声明の精神にまた戻らなければならない。
それだけが思想と政見、信仰の違いを超え、団結し民族的大団合の力で国の統一を成し遂げ、繁栄する統一祖国と共に、在日同胞たちの幸せと子孫たちの蒼々たる未来を担保できる道だ。
民団中央は大勢の流れと同胞たちの要求と志向をまっすぐ見つめなおし、同族対決と屈辱的な親日追従をやめ、民族と同胞たち、子孫たちのため、民族団体らしく振舞うことを願う。 |