1945〜1955年 1945.8.15
祖国解放
9.14
在日本朝鮮学生同盟(朝学同)結成(於;東京)
9.23
京都朝鮮人留学生会(後の朝学同関西本部)結成(於;京都・萬寿寺)
10.15
在日本朝鮮人連盟(朝連)結成
1946.4.8
朝学同第2次総会にて綱領と規約を改定し、同盟の性格と任務を決定
12.13
金日成主席による公開書簡「在日100万同胞へ」
1948.9.9
朝鮮民主主義人民共和国創建
10.11
朝学同主催で行なわれた共和国創建慶祝大運動会(朝鮮奨学会の運動場)で、共和国旗掲揚を理由に二人が逮捕され、軍事裁判で重労働3年の実刑判決(1949.2.24)−朝学同国旗事件
1949.5.8
朝学同第5次総会(於;明治大学講堂)にて右派の学生40名が大会進行を妨害、同日夜、暴力団150名と一緒に朝学同の事務所を襲撃−「朝学同5.8事件」
9.8
日本当局、GHQの指令により、朝連と民青を強制解散
1950.5.21
朝学同関東地方本部第6次総会(於;法政大学)を右派学生と暴力団が襲撃、朝学同盟員1名が死亡(「朝学同法大事件」)
6.25
朝鮮戦争勃発
1951.8.14
機関紙『朝鮮学生新聞』が発行禁止になる
1952.9.8
『朝鮮学生新聞』復刊
10〜11
日本大学をはじめ30校の大学祭で祖国解放戦争写真展、演劇公演(30万名動員)
12.25〜27
朝学同第1次全国大会(於;京都市堀川朝鮮人小学校)−在日朝鮮学生の生活と学問研究、班組織拡大強化に関する問題などを討議
1953.7.27
朝鮮戦争停戦協定調印
11
同胞医学生たちの団体「槿仁会」発足
1954.4.18
朝学同「社会科学研究所」を設置
1955.5.25
在日本朝鮮人総聯合会(総聯)結成
6.18
朝学同第4次臨時全国大会(於;明治大学講堂)
−朝学同を在日本朝鮮留学生同盟(留学同)と改称、総聯の傘下に
8.15
機関紙『朝鮮留学生新聞』発刊
12.17〜19
「第1次学科別研究討論会」開催(於;立命館大学)
在日本朝鮮留学生同盟(留学同)は、祖国解後間もない1945年9月14日、「緊急朝鮮人学生大会」の開催(於東京)を契機に結成された
在日本朝鮮学生同盟(朝学同)」を母体にしています。朝学同は同年9月23日、京都の萬寿寺において李升基博士などの呼びかけによって作られた
「京都朝鮮人留学生会」(後朝学同関西本部)を包括するなど、より広範で全国的な同胞学生団体として活動を繰り広げました。
朝学同は在日朝鮮人聯盟(朝聯)との連携の下、生活権獲得運動、故郷帰還実現運動、国語習得のための講習会等を
活発に展開しました。しかし南朝鮮単独選挙の強行に発する祖国の南北分断と日本の保守回帰の中、4.24阪神教育闘争(1948)、朝学同国旗掲揚事件(1948.10)や
5・8右派学生朝学同事務所襲撃事件(1949)等が頻発し、その後アメリカによる朝聯の強制解散(1949.9)、朝鮮戦争の勃発(1950.6)により、
朝学同活動も厳しい状況にぶつかりますが「朝鮮学生新聞」の復刊、朝学同第一回全国大会の開催(1952.12於京都堀川朝鮮人学校)等を通じ、
同胞学生の生活権、学問研究、支部拡大などの事業はたゆまなく行われました。
金日成主席の路線転換指導の下、朝聯を引き継ぐ在日本朝鮮人総聯合会(総聯)が結成(1955.5.25)されることにより、
朝学同は同年6月18日、主体的海外僑胞運動の一翼を担う在日本朝鮮留学生同盟(留学同)へと組織改編(朝学同第4回臨時全国大会)を行い、現在に至ります。
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