1980年〜1989年
1980.8.1
「第1次留学同祖国訪問団」(以来2015年で第32回)
1981.7.25
「第1回サマーセミナー」(於;長野信濃平)(以降、1991,2002,03,04年以外毎年開催)
11.29
「第1回ウリマル雄弁大会」
1984.10〜11
留学同大阪、各大学祭で記録映画「金日成主席のソ連及びヨーロッパ社会主義諸国訪問」上映会開催
1985
光州人民蜂起5周年朝鮮の自主的平和統一促進を求める朝鮮人学生デモ行進
11.2
留学同結成40周年記念大会及び祝賀会開催
1987.1.20
ソウル大学の朴鐘哲君を拷問虐殺した南朝鮮当局の蛮行を糾弾する在日朝鮮青年学生大会開催
12.2
南朝鮮旅客機(KAL)失踪事件
1988.5〜
共和国創建40周年を輝かすための「5ヶ月愛国革新運動」展開
5.24
「南北学生会談実現のための在日僑胞学生推進委員会」に参加、「南北学生会談支持」自転車行進
5.8
留学同関東、「南北学生会談実現」断食闘争
1989.3.6
「第13回世界青年学生祝典」(於;平壌)の成功のための募金運動展開、共和国にバス寄贈
7.1〜8初
平壌祝典に留学同代表13名が参加、全大協代表の林秀卿氏とともに「朝鮮の平和統一のための国際平和大行進」参加、その後断食闘争を展開
7.20
日本各地で林秀卿氏を支持する街頭宣伝を展開
1989.7〜8の朝鮮労働党第6回大会(1980.10)で金日成主席が発表した「高麗民主連邦共和国創立法案」は、「7・4南北共同声明」の精神に則った
祖国統一の具体的なビジョンであり内外に支持を呼び起こしました。
南では前年の朴正熙射殺事件後の「ソウルの春」が、数々の弾圧と1980年5月の光州人民蜂起武力鎮圧により押し潰されてしまいます。
しかし、この光州の戦いは南の反民主ファッショと分断固着、祖国統一の障害の原因がアメリカであること、反共反北から民族大団結へと転換することに
統一へのカギがあることを全朝鮮民族に示唆し、祖国と統一運動に多大な「血の教訓」を残したといえます。
日本全国の留学同盟員たちは各地で光州宇人民弾圧に抗議するハンスト、金大中氏即時釈放を要求するハンスト、記録映画「ああ、光州」公演など、
南の民主化と祖国統一を求める声を一段と強めた時期でもあります。全斗煥に続く廬泰愚政権下での南の学生の闘いに、引き続き支持・連帯を送るとともに、
1987年6月民主化抗争を受けて提起された「南北学生会談」実現のための100万名署名運動、自転車行進などを展開しました。
中でも、1989年7月平壌で開催された「第13回世界青年学生祝典」に、南の全大協代表としてたった一人で参加した林秀卿の決死の行動は、
同胞学生たちに絶大なる支持と感動を呼び起こしました。
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