1956年〜1969年
1957.4.8
金日成主席、在日同胞子女たちのための教育援助費と奨学金送付
1958.9
同胞学生1名が1冊の書籍を共和国に送る運動を展開
11.1
「帰国実現署名運動」、日本各地で展開
11.23
留学同東北支部再建
1959.5.18
帰国実現を要求し、日本外務省に抗議要請
5.22〜24
東京大学朝鮮文化研究会5月祭で研究報告「在日朝鮮人の帰国問題について」発表
11
各大学祭でアンサンブル「帰国の喜び」公演と展示会を一斉に開催
12.5〜7
第4次学科別研究討論会」を、はじめて朝鮮大学校で開催
1960.7.3
留学同と朝大、日本の大学(15校)の学生たちで「朝日友好会」を組織
1961.5.17
韓国学生同盟(韓学同)と共同で新入生歓迎会、「南北学生会談実現のための共同宣言」発表
1962.7
在日朝鮮人夏季大野営会開催(山中湖)−以降、63,64,65,67,73,75年に行われる
1963.4
在日本朝鮮留学生東京寄宿舎落成(大塚)
1964.3.12
在日本朝鮮留学生京都寄宿舎落成(桂)
1965.3.1
「韓日条約」を反対・糾弾する大会を開催
5
留学同金沢支部結成
12.19
留学同結成20周年記念中央大会
1967.9.5
留学同兵庫地方本部結成
9.10
留学同九州地方本部結成
1969.9.7
留学同広島支部結成
留学同は朝学同からの改編により、朝鮮民主主義人民共和国を祖国とする、主体的海外学生組織として発展し始め、今日に至る基盤が作られます。
「朝鮮留学生新聞」の発刊(1955.8)や、学科別研究討論会の開催など、学生らしい、創造的かつ気迫ある活動を繰り広げてきました。
卒業生たちは、専従、朝鮮学校の教員や研究者、商工人など、各界各層に広がり、在日朝鮮人社会の発展の礎を築く上で大きな役割を果たしました。
1957年4月以降、社会主義祖国から毎年のように送られてきた1億円規模の教育援助費と奨学金、1959年から始まった社会主義祖国への帰国実現、
さらに1963・64年にかけて東京・京都にそれぞれ朝鮮人学生寮ができたことで食住の心配がなくなった数多い同胞学生たちは、祖国との絆を実感し、
"知識あるものは知識で"祖国と同胞社会の建設に寄与する覚悟を持って、学問研究とともに留学同活動をより活性化させたのがこの時期の特徴です。
1960年4月19日に始まる南での人民蜂起により李承晩政権は倒れ、「行こう北へ!来たれ南へ!会おう!板門店で!」のスローガンの下、
南北学生会談が提起される中、留学同もこれに呼応し、各国各地で様々な活動を展開しました。ついで、クーデターにより政権を奪取した朴正熙を糾弾し、
1964〜65年にかけて「韓日会談」「韓日条約」反対闘争を集中的に繰り広げ、連日のように講演会、ビラ撒き、街頭デモや署名運動を行いました。
他にも駐韓米軍撤退を求める米総領事館へのデモ、「外国人学校法案」「出入国管理法案」反対闘争を力強く繰り広げました。
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